杉山久子第四句集『栞』(2023年9月刊、朔出版)

豊里友行

2023年09月11日 12:16

杉山久子第四句集『栞』(2023年9月刊、朔出版を献本していただく。

タイトルの栞(しおり)については、帯文が真っ先に読者の眼を惹く。

過ぎてゆく日常に栞をはさむように
句を作っているのかもしれないと、
少し前から感じるようになった。
言葉にならないけれど言葉を取り巻くもの、
言葉と言葉のあわいにあるものの輝きも、
ともに受け取り、味わってゆきたい。
                           杉山久子


本著のあとがきより抜粋された帯文だが、私がいつも「丁寧に生きる」ということを言うが言葉は違うのだが本質的には、通底しているように思える。

杉山久子さんは、第3回藍生新人賞(1997年)、第12回藍生賞(2017年)を受賞されている。
その外にも第2回芝不器男俳句新人賞(2006年)や句集『泉』により第1回姨捨俳句大賞を受賞されている。

あなたの眼ゆふべは鯨に似てゐたのに

ここの貴方の眼は、恋人の眼だろう。
その恋人に夕べは、鯨(くじら)のように魅せられていた。
鯨は、私の生きる沖縄にも回遊してくる。
慶良間諸島のあたりで春先に、鯨の見学ツアーがあるほど。
海原に飛ぶように海面より飛び出して舞う様は、ある種の宇宙の惑星のようにさえ私は感じられる。
その貴方は、わたくしを引き寄せる星のようで回遊鯨が地球をめぐるようにも俳句が広がる。
そんな回遊鯨の求愛行動は、円を描くようにして泳いだり、体を回転させたりして、鯨の愛のシンフォニーへと誘(いざな)われていく。
鯨に似ていたあなたは、言葉にするほど野暮でもなくその官能のあとを詠んでみせる俳人の慧眼のそれ。

この俳人の現代語感も瞠目させられること多々ある。

保育器にかほを寄せ合ふ桃の昼

昼寝より覚め諾名のひしめく世

雁渡る白封筒に生活費

黒黴を殺す手立てを検索す

三日月を栞としたるこの世かな

保育器とは、未熟児を保護して育てる医療機器のこと。そこに桃のような子がいて、その子を見つめる両親の顔がふたつ桃のように並んでいる。そこは、昼という日常の中に生命のいとちいさきかよわくも愛おしい愛が芽吹きだす。昼寝というか。転寝してしまった。そこには、諾名がひしめくこの世の中があると認識し直す。雁が渡るのにどのような空が広がっているか。白い封筒に描かれていくのは、せちがらくも生活費なのだろう。私は、生活費をこのように俳句に結晶化できるのを今迄お目にかかったことがない。黒い黴(かび)を殺す手立てをスマフォで検索するこの濁流のように押し寄せる現代社会でもある。この俳人は、三日月を栞とした俳人の覚悟の世なのかもしれない。
この俳人の俳句は、この俳人自身にしか描くことのできない人生のページ。その人生のページに挟まれた栞たちは、やはり杉山久子俳句の輝ける人生を噛みしめている。
名句を作るためでもなくただただ人生をより良く生きるための俳句の栞なのだ。
どの俳句にも豊かな杉山久子俳句の人生の川底へときらきらと星のように輝いている。
どの俳句にもひとつひとつ弛むことのない俳句の弦がしっかりと虹の根を下ろし楽を奏でている。
どの俳句にも人生の栞が、俳人としての確かな生きた証を刻み込む。
だからこそ俳句の栞は、杉山久子自身だけでなく多くの人々へ俳句の共感を呼ぶのだろう。

台風の来さうな夜のうなぎパイ

白靴の駆け入るミナトベーカリー

雪だるま泣きだしさうな笑顔なり

腹割つて話すつもりの蜜柑かな

上記の俳句は、特に咀嚼することもないくらいに簡単平明な表現ではあるが、俳句1句1句に確かな詩の弦が奏でられている。
軽く軽く軽く鯨の宇宙を舞うように思い描けるほど、しなやかな俳人としての開眼が芽吹く。その明るい杉山久子俳句の境地を特筆して筆を置きたい。

共鳴句をいただきます。

冬星につなぎとめたき小舟あり

傷痕を見せられダリアいよよダリア

欠番のハマヒルガオとして揺るる

灯火親しむ犯人役の長台詞

ががんぼのせまる洛中洛外図

こほろぎや分析室のほのあかり

イワシショー果てて秋思のごときもの

新体操のリボンただよひつつ春へ

さて次は何に取り付く葛かずら

春暁やわが消化管さくらいろ

夏帯の軽さの道に迷ひけり

じゃがいもに小鬼の角のごとくに芽

花冷の手に食ひ込める紙の紐

月面農場春を育ててをるらしい

泣く母を包みてとほき桜かな

軋みつつ世界は翳る黒揚羽

新小豆買うて日帰り旅終はる



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