2025年4月28日の私の「おきなわ」
写真事務所で
ひと休みして
もう一件の撮影をしたいが
iPhone電池切れてるし
今日は辺戸岬まで走らせているので
写真事務所まで辿り着くと
たぎっていた写真を撮りたい衝動が冷めたわけではないですが
取材先は10時までだったかな
それに間に合わないので
今日はこのくらいで店じまいですな
歩く写真館みたいだな
☆
(撮影メモより。後日、推敲します!)
今日の友人たちとのゆんたくで少し返答に困ってしまう。
それは、沖縄にとって「屈辱の日」と云われているが、「主権回復の日」でもあるよね。
その言葉にどきっとしてしまう。
サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日は、沖縄にとって「屈辱の日」とされている。
それは、沖縄の視座だと私は、勝手に確固たる揺るがない歴史認識だと思っていたのだが、私のオツムでは「主権回復の日」が認識不足で「5・15」のことかなーとか詮索するものの返答が心許ない。
1952年4月28日に沖縄は、米軍統治下に置かれて27年もの忍従の歴史を経て1972年5月15日の「本土復帰」が実現するまで沖縄には日本国憲法が適用されず、日本国の警察権、司法権も及ばない治外法権の島だった。
牧師の平良修先生に当時のお話をお聞きした時にその27年間の沖縄が何を求めて日本に帰ろうとしたのかを尋ねた。
沖縄の人の人権蹂躙されている、そのやむにやまれないそのこの世界から基本的人権の「回復」を求めた。
だが私は、この「主権回復の日」をネットサーフィンするまでは記憶にとどめていなかった。
いわゆる平成25年4.28「主権回復の日」政府式典によるものだ。
政府主催で、2月11日の建国記念の日、そして2月22日を『竹島の日』、4月28日を『主権回復の日』として祝う式典を開催した。
この日は、まさに日本国の主権回復の日である。
そして沖縄の異国による支配下におかれ、日本から切り離された日でもある。
そんなどの立場の回復なのかも私たちは話題にできないくらい沖縄の歴史認識は白いページに刷り替えられているのかもしれないと当惑しながらも、着実に沖縄に生きる私たちの立ち位置は、沖縄の歴史は、さまざまな立ち位置の視座に書き換えられているのだ。
私は、沖縄戦後80年の2025年4月28日に車で何度も沖縄を代表するブルースシンガーの知念良吉さんの代表作「何処へ行くオキナワンボーイ」を聴いていた。
ただ私は、何処へも行かないよってつぶやきながらただ沖縄を右往左往し続けたい。
(ネット上にも知念良吉さんの「どこへゆくオキナワンボーイ」 (2010.8.2 いわき)の音源がアップされているのでぜひ。ちぇけらっちょ。)
「何処へ行くオキナワンボーイ」(作詞、作曲 知念良吉)
駆け抜けて行く時にブラ下がり
心の中をさまよっていた
想い出は遠く遥かすぎて
サヨナラの時の痛い陽差しだけが・・・
あゝ何処へ行くオキナワンボーイ
美しかったものは泥だらけ
あゝ何処へ行くオキナワンボーイ
夢まで用意されていた
おれの心に沈んでいる
あの娘のいじらしい瞳
灼けた白い砂浜に
悲しみを洗い流しただろうか
あゝ何処へ行くオキナワンボーイ
都会のホコリを食べながら
あゝ何処へ行くオキナワンボーイ
悔しさの爪跡を残して
ラララ・・・心の奥底に・・・
ラララ・・・青空の奥深く・・・
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豊里友行写真事務所は、日々、豊里友行の俳句や写真活動のため外出していることも多々あります。撮影後に事務所を開けているため要御予約でなにとぞよろしくお願い致します。それ以外は夜、撮影後にひと休みしながら自分時間をしています。
豊ナビ~沖縄市コザ十字路界隈①
【コザ銀天街付近の有料駐車場️】
(コザ十字路でこの駐車場は、めちゃんこ助かります。元・ワコウ跡地。コザ校通りからコザ十字路向け左手側。喫茶六曜舎隣。三井のリパーク《沖縄市照屋1丁目》入庫後 300円《24時間以内》0時00分から24時00分、60分/200円)
豊ナビ~沖縄市コザ十字路界隈②
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豊里友行写真事務所内
(出版社沖縄書房コザ十字路支店)
沖縄市照屋1-11-14(沖縄市コザ銀天街の惣菜通り内)
toyozatotomoyuki@gmail.com
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