2025年04月05日

7分ほどの道のり

私は、那覇の山田勉さんのアトリエに向かうのに数キロメートルくらいある友人の駐車場に車を駐車して歩く。
車から見えていたアスファルトの陽炎が踊り出しているのをもっとまじかで見てみたい。
もちろん陽炎どころか春の陽気も風が吹くたびに肌寒ささえ感じる。
写真集『おきなわ』の写真データと見本プリントをもって山田勉さんのアトリエに向かう途中で、どうも約束の午後1時を回ってしまいそうで途中でiPhoneから「あと7分ほど遅れます」と伝えて足早に向かう道のりは、車や頭の中に思い描く地図とは違う伸縮する1つのルートのようだ。
あれはFacebook友達の吉岡攻さんの那覇市松山を写真に切り取った視点の場所だ。
意外と遠く感じるのは、ネット上に膨大に流れる情報の濁流の1つ1つが、時々、私の記憶の扉を開けてしまうからかもしれない。
現代社会の無数に広がる記憶の扉を開けている余裕は、今の私には、無い。
ある写真家の文章の中に見た見た見たと言って撮り歩く文章のくだりがあるが、写真の振り幅とでもいいましょうか。
写真家は様々な方法論や撮影手法によって写真集を展開しているのだが、ただその名作たちを影響と模倣し続けるだけでいいのだろうか。
いろんな先輩たちが、ゆさぶりをかけてくるので文章のスランプに陥ったのだが、最近、写真の名作についてある考えに辿り着いた。
名作となるその写真家の今をどう想像するか。
それも大変勉強になるのだが、今、私の見ているこの場面に撮りたい衝動があるのならそれはそれで名作という他者の評価ではなく自己のモニュメント(記念碑)としておろおろしている作品を奮い立たせることができるのではないか。
私が私の価値観で撮りたいという衝動をずっと寸暇を惜しんで撮り続けているのに他者の言動による価値観に振り回されている。
私は、ブルーハーツの歌みたいに歌えないけれど心の中でずっと沖縄へのエールを贈り続けている。
あるがまま其処にある沖縄がとても尊いと感じている。
そういう思考に辿り着いて何度も辿り続けては、双六の振り出しに戻るような私の思考だけれども不器用な生き方だからこそ伝わる表現の開花もあるかもしれない。
その7分ほどの道のりにこんなことを考えていた。

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Posted by 豊里友行 at 00:55│Comments(0)豊里友行の出情報
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